二度目はないと思いなさい


 「おデコくん!」
 ソファーに座る客人を見つけた途端、響也は主人を見つけた飼い犬のように、王泥喜の首根っこにかじり付いた。
 悲鳴を上げて仰け反ったせいで、王泥喜が手にしていた紅茶のカップは大きく傾いで、ソーサーの中に茶色い液体を満たす。
 向かいに座っていた霧人は、大きく眉間に皺を寄せた。

「響也、なんですか。みっともない。」
「え、だって、おデコ君が来るなんて、霧人教えてくれなかったじゃないか。」
 王泥喜の肩口に両手でぶら下がりながら、響也は拗ねた声で返す。
「俺が、本を借りに来たんです。」
 背中越しに、少し顔を赤らめた王泥喜が答えを返した。そうですよ。と頷いてから、ちらと王泥喜の額に、霧人は視線を送った。口元を抑えて横を向く。

「…おデコ…。」

 震える肩と小さく呟くのが聞こえて、王泥喜は今以上に顔を赤めた。尊敬する先生に笑われた。随分と心外だ。
「オデコは止めて下さい。響也さん。先生にも笑われたじゃないですか」
「そんな事ないよ、可愛くて法介にぴったりの渾名だよ、ね。霧人」
「…そうですねぇ。広くて立派な額ですが、本人が嫌がっているものを呼ぶものではありませんよ?」
「嫌じゃないよね? 法介」
 にっこりと微笑んで、王泥喜を覗き込むと惚けた表情で響也を凝視している。
「どうしたの?」
「…俺の名前…。」
 そこまで言って、王泥喜ははっと口元を抑えた。
「?」
 未だ不思議そうにぶら下がっている響也から顔を逸らして、王泥喜は借りた本を握りしめた。
「御馳走さまでした。俺、帰ります。」
「え〜もうちょっといなよ。兄貴だけじゃなくて、僕につき合ってくれてもいいだろ?」
 そういうと、強引に腕を引き、自室に王泥喜を連れ込んだ。

 先程の王泥喜の様子から、中が気になって仕方ない霧人は、母親がよく使う必殺技を繰り出すことにした。
「響也、成歩堂が置いていった葡萄ジュース飲みますか?」
 二人分のコップをのせたお盆と共に扉を開けた霧人の髪は思わず宙に浮いた。

 細長い焼き菓子の表面にチョコレートをコーティングした食品を、響也と王泥喜が左右から口に入れていた。あわや唇が触れるという状態で、ふたりの中を引き裂くようにぽきりとそれは折れ、それぞれの唇に消える。

「あ〜折れちゃったか。難しいんだなこれ」

 残念そうに笑う響也の向こう側で、王泥喜が正座の膝に両手を置いて真っ赤にないりながら口を動かしている。箱の中身が殆ど残っていないととこを見ると、何度もしているようで、霧人の額にイラッと模様が浮かんだ。
「何をやっているのですが、貴方達は」
「ポッキーゲームって言うんだろ? これが上手だと女の子にもてるって大庵が教えてくれたから、練習してた。」
 後で霧人もやろうね。と言い置く響也に、霧人特製殺すリストに大庵の名前が加わる。当然、目の前の教え子にも釘を刺して置かねばと、玄関に見送りに出た際に、響也の隙を狙って話掛けた。
 
「王泥喜くん、二度目はないと思いなさい。」
「わかってます。俺、響也さんに相応しい人間になってきちんと挨拶にきますから。」
 握り拳に、キラキラ瞳で返されて、霧人は一瞬言葉に詰まった。眼鏡を指で押し上げ、気を落ち着ける。
「そういう事を言っている訳では…。」
「大丈夫です! 先生、ありがとうございました。頑張ります!」
 誰も応援なんかしていません!
と、霧人が叫んだ時には、熱血教え子の姿は消えていた。

「まぁ、あの様子ならすぐに響也に手を出す度胸はないでしょうから…。」

 腕組をしながら、はぁと息を吐いた霧人は、まだ王泥喜法介という生徒が良くわかってはいなかったに違いない



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